散策study

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役に立つかはわからない知識の記録

つらい今、苦しんでいる方へ 〜自分とは何か〜⑥

こんにちは、とみちゃんです。

 

 

先日初詣で、ある地元の神社に行き、おみくじを引きました。

 

そこの神社では出雲大社のおみくじが引けるのですが、

出雲大社のおみくじって「大吉」とか「凶」とか

いわゆる一般のおみくじに書いてあるようなことが書いてないんですね〜。

 

書いてあるのは「第○番」というおみくじに割り振られた番号とおおまかな運勢が文章で書いてあるほかに、

結婚や病気、旅行など各項目がどのようになるのかということが書かれていました。

 

ちなみに「結婚」の項目は「大いによし」と書かれてありましたが、

そう言われましても、まずお相手を見つけるところから始めなければ……(^_^)a

 

ま、まさか、交際0日でスピード婚的な、堀北真希的なことが起こるのか……!?

 

 

とまあ、前置きが長くなりましたが、みなさんも良い一年になるといいですね(^o^)

 

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今回は、体験記シリーズということで、少しずつ精神的に回復してきてからのことについて書いていきます。

 

昨年11月末から仕事を休むようになり、私はとりあえず心の整理をしようと思うようになりました。

(一応、言っておきますと、当初は年明けから仕事に復帰する予定でしたが、

まだ仕事に対する意欲が出ず、休みを延長することになりました。)

 

自分が精神的に落ち込むに至った経緯や、そのときの心情など、

今までの自分であれば話さなかったであろうことをいろんな人に話そうと思ったのです。

 

また、これを機にほかの人が仕事でどんな悩みをもっているのかも気になりました。

 

 

何人かに連絡をとり話をしましたが、話したことなどをこのブログに書いてもいいと言ってくれたので、

そのときのことを書いていこうと思います。

 

ここには話をしたうちの2人について書こうと思います。

 

 

これまでの記事はこちら↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

 

 

 

 

 

 

 

 

1人目

 

まず、私が会ったのは高校時代からの親友でした。

 

彼は現在、私の地元の山口で働いています。

 

彼に、仕事中、上司への相談の仕方について聞きました。

「『自分はこう思うけどそれでよいか』というふうに聞くのは研修で聞いた」とのことで、

上司から「どう思う?」と聞かれたら「こう思います」と答えるくらいだけど、

やっぱりそこに難しさは感じているとのこと。

 

彼は上司に対して威圧的に感じてはいないため、私のような悩みはかかえていませんが、

私が話しているときは「うんうん」と共感してくれました。

 

彼に、どうして今の仕事を選んだのか聞いたところ、

「ネームバリュー」や「やりたいことがないからとりあえず」といった理由で、

そこは私も同じような理由で共感できる部分でした。

 

 

 

2人目

 

2人目も、高校時代からの親友で、1人目の友人と3人で昔旅行とかにも行ったりする仲です。

 

彼は現在福岡で勤務しているため、ビデオ通話をしました。

 

私の悩み等をうちあけると、彼も、以前上司や先輩に聞くことをためらっていた時期があったと話しました。

しかし、仕事中彼がある失敗をしてクライアントに迷惑をかけたことをきっかけに、

まわりの人にわからないことを聞くようになったし、まわりも気にかけてくれるようになったとのこと。

 

私が「仕事は楽しい?」と聞くと、彼はこう答えました。

 

「いやなこともあるけど、楽しいと思えることを仕事の中で探している。

いやだとばかり思うと、いやなところばかりが目に入ってしまうため、

ささいなことでも『やっててよかったな』と思えることを見つけると、

『きらい』から『好き』にはできなくても『きらいじゃない』と思えるようになる」

 

どこかの偉人が書いた本でも音読しているのかと思うほどの名言ではないか。

失敗にもめげず、そのように思いながら仕事ができる彼はメンタルコントロールが上手なのだろうなと感じました。

 

失敗をしたり、落ち込んだりしたときには、

まわりのサポートだけでなく、自分自身が変わることも大事なのだなと思いました。

 

 

 

 

最後に

 

今回、自分が精神的に落ち込んで、いろいろと考える時間をもらいました。

 

今までに感じたことがないつらさだったがゆえに、かなりギリギリまで心が押しつぶされてしまいましたが、

今では、このような経験をしたことはよかったと思っています。

 

幸い、私のまわりには優しい方たちばかりで、

私が勇気をだしてつらかったことや苦しかったことをうちあけたときも、

きちんと聞いてくれて、共感してくれて、

そんな方々のおかげで自殺することなく、元気に生きています。

 

今回のことをきっかけにいろんな人と話すようになって、

今回ここに書いてない人もいますが、みなそれぞれいろんな悩みをかかえていて、

悩みながら仕事をしている人は多いのだと、気づくことができました。

 

まわりのサポートが大事と言ってきましたが、

この言葉は、あくまで私と同じような人を増やさないために必要なことであって、

落ち込んだ側が期待することではありません。

 

精神的につらい経験をした私も、まわりの人や環境が変わることは期待せず、

自分自身が変わっていこうと思います。

 

今はまだ、仕事に復帰したいという気になっていません。

 

自分とは一体なんなんだろうかなんて、結局わかりません。

 

でも、まだわかっていないだけ。

 

人生どうなるかなんて、所詮だれにもわからないのだから、

ゆっくり考えようと思います。

 

人生に正解なんてないですが、

今の自分を良いほうに変えるためには、自分が行動を起こすしかないですよね。

 

今年は、いろいろチャレンジして、失敗をする。

そんな一年にしようと思います。

 

 

最後に、ご報告です。

 

ここまで体験記シリーズを長々と書いてきましたが、今回で終わりです。

 

体験記シリーズだけでなく、このブログもこの記事をもって一区切りしようと思います。

 

今後は「note」のほうで主に書いていこうと思います。

 

3年ちょっと、このはてなブログには記事を投稿してきましたが、

突然のご報告になり申し訳ございません。

 

これまで読んでくださったみなさまには感謝申し上げます。

ありがとうございました。

 

 

それでは、またどこかで私の文章を目にしたときは、よろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

以上、とみちゃんでした。

つらい今、苦しんでいる方へ 〜自分とは何か〜⑤

こんにちは、とみちゃんです。

 

 

 

さて、今回はいったん休憩しておりました体験記シリーズの続きです。

 

 

過去の記事はこちら↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回は、

以前自分が書いた記事を読み直すと、今だからこそいろいろと考えさせられることがあると書きましたが、

今回はそのことについてです。

(その記事はこちら↓)

 

 

 

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最近でいえば、神田沙也加さんも突然死されましたね。

 

直接の原因はわからないのでなんとも言えませんが、

もし本人が悩んで苦しんだ末の自殺ということなら、とてもつらい思いをされたのではないかなと、

自分が最近精神的に落ち込んだからか余計にそう思います。

 

 

 

幸いにも、私は今生きています。

 

仕事の帰り道、「死」というものが頭をよぎったことも少しはありました。

 

「『自分』という存在がみんなの記憶の中から消えたらいいな」

と思ったこともありました。

(ハリーポッターでいうオブリビエイト的な)

 

 

もちろんそんなことできませんので、

「死んだら今のつらさから解放されるのかなぁ」と

そんなことを考えたこともありました。

 

 

三浦春馬さんの記事を書いたときの私は、まだ精神的には安定しておりましたので、

冷静に考えていろいろと書くことができました。

 

 

 

当時の記事一部を抜粋しますが、当時の私は次のようなことを書いています。

 

死んでほしくない大切な人が自殺を考えているとき、周りの人ができることは、その人が

・なにで苦しんでいるのか?

・今どういう気持ちなのか?

をまず知ることなのかなぁと思います。

 

実際悩んでる人にはそれぞれの苦しみがあって、こうすればいいという正解はないとは思いますが

話を聞くだけでも悩みを抱えている人の気が楽になることもあるかもしれませんよね。

 

そのためには、苦しんでいる人の小さな異変に気がついて、声をかけて話を聴くという周りの人の力も必要なのだと思います。

 

 

当時はこんなことを書いていました。

 

今でもこう思っていますが、

今回自分が精神的に落ち込んで気づいたことがあります。

 

 

それは、

「まわりの人が気づいてあげる」ことが非常に難しい場合もある

ということ。

 

 

人の心は目に見えません。

 

精神的苦痛を味わった私であっても、

多分、今目の前に心の中で自殺を考えてる人がいても、「必ず気づける」という自信はありません。

 

 

それはなぜか。

 

 

苦しんでいる人の中には、「苦しい」とか「つらい」とか、

他人に助けを求めることがなかなかできない人がいるから。

 

助けを求めるどころか、家族を含めた周囲の人たちを心配させまいと逆に明るく振る舞ったり、

「元気?」と聞かれても「元気だよ」と笑顔で答えてしまう人もいるのです。

 

 

実際、私がそうでした。

 

 

私の周りには優しい方たちが多く、

「元気?」とか「疲れてない? 大丈夫?」とか

同じ課の人だけでなく、院長や看護師さんがよく声をかけてくれていました。

 

声をかけてくれた人にとっては、単なる挨拶程度のつもりだったのかもしれません。

 

もしかしたら、まわりから見たら、本当に私が疲れているように見えて心配してくれていたのかもしれません。

 

でも、そのように声をかけてくれてうれしかったのも事実です。

声をかけてくれるたびに、「いい人だなぁ」と感じていました。

 

そういうのがなかったら、私はもっとひどい精神状態に陥っていたかもしれません。

 

 

世の中には、だれにも何も相談できず、一人で悩み、苦しみ、

まわりからの気遣いや、声かけもサポートもなく、自殺する人もいるでしょう。

 

「人に弱みを見せられない」や「まわりに心配をかけたくない」と考えてしまう性格の人間がいる以上、

一人で悩んだ末に自殺をする人はきっと今後もゼロにはなりません。

 

 

なんでも言いたいことを言える人もいれば、

自分の気持ちを素直に打ち明けられない人もいます。

 

「今苦しんでいるのは自分の能力がたりないからだ」とか、

「うまくいかないのは自分が悪いんだ」とか、

「だれかに相談しても、『こいつそんな簡単なこともできないで悩んでるのか』と思われるのではないか」とか、

そう思って一人でかかえこむ人もいます(私がそんな感じでした)。

 

 

これは性格の問題です。

性格は、遺伝や幼いころの環境などによって決まるので、ここを変えるのは限界があります。

 

 

となると、自殺者や一人で苦しんでいる人を減らすためには、

やはり、まわりのサポートや声かけが大事なのだと改めて感じました。

 

 

声をかけてもらえるだけで、苦しんでいる人からしたら

「心配してくれている」とか「一人じゃないんだ」と

安心感を得られるのです。

 

 

そういうのもあって、私はあの朝課長に「つらい」と言えたのかもしれません。

 

 

 

ただ、先ほども述べたように、本当に一人でかかえこんでだれにも相談できないけど明るく振る舞っている人もいると思うので、

まわりの人が気づいて声かけをするというのもなかなか難しいかもしれません。

 

人間は一人ひとり違うので、こうしたら必ずうまくいくという方法がありません。

 

だから、これは本当に難しい問題なのです。

 

 

ただ、今もし、一人で悩みをかかえ続けて苦しんでいる人がこれを読んでいるのだとしたら、

「この人なら信頼できる」という人がいれば、少しずつでもちょっとだけでもいいので、

勇気をだしてそのつらさをそのひとにわけ与えてみてほしいです。

 

頼られたり相談を受けることをうれしいと感じる人はきっといます。

 

「私に悩みやつらさを打ち明けてくれてうれしい」と思ってくれる人もきっといるはずです。

 

 

 

 

今回、私が精神的に落ち込んで少しずつ回復してきたころ、

いろんな人に今回の件も含めて話をしてみようと思うようになりました。

 

これまでだれかに相談したり、他人に弱みを見せるようなことを苦手としていた私がですよ?

 

 

いろんな人と話をしたことについては、また書きますが、

いろんな悩みをかかえている人、苦しんできた人というのは、意外と身近にたくさんいます。

 

きっと、この記事を読んでいるあなたの近くにも、

あなたと同じような悩みではないかもしれませんが、何かしら悩んで生きている人は多いのかもしれません。

 

 

自分の悩みを打ち明けるというのは大変難しいことだと思いますが、

勇気をだして一歩ふみだせば、新しい世界が広がるかもしれません。

 

 

悩みを一人でかかえこんで自殺する人が一人でも減りますように。

 

 

(次回へ続く)

あなたは読める? 難読漢字(正月編)

こんにちは、とみちゃんです。

 

 

あけましておめでとうございます。

 

昨年、私の記事を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。

今年もよろしくお願いしますm(_ _)m

 

 

前回までは、体験記シリーズということで、

私が昨年11月の終わりに経験した精神的なダメージについて書いていました。

 

 

今回は、新年最初の記事ということもあり、

体験記はいったん休憩で、久しぶりに雑学系記事を書こうと思います。

 

 

 

新しい年を迎えると、普段は目にしない難しい漢字を見る機会が増えますよね。

 

というわけで、今回は正月によく見る漢字についてご紹介します。

 

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目次

 

 

 

 

賀正

 

年賀状でこの言葉をよく見る方も多いのではないでしょうか?

 

これは「がしょう」と読みます。

「がせい」とも読みます。

 

「かしょう」でも「かせい」でも「がまさ」でもありませんのでご注意を。

 

 

 

頌春

 

こちらも年賀状でよく見るのではないでしょうか?

 

これは「こうしゅん」ではなく「しょうしゅん」と読みます。

 

「賀正」同様、新春を祝うときに使う言葉です。

 

 

 

屠蘇

 

これは正月に飲むあれです。

逆に正月以外に飲んでいるのを見たことがありませんが……。

 

これは「とそ」と読みます。

 

お屠蘇は、お酒やみりんにさまざまな生薬を混ぜて作った薬草酒のことです。

 

邪気を払ったり、長寿を願って飲みます。

 

 

 

注連縄

 

最後はこれ。

 

3文字目の「縄」でピンときた方もいるかもしれませんね。

 

これは「しめなわ」と読みます。

 

「しめなわ」はほかにも「七五三縄」と書いたりもします。

(いや「七五三」の3文字で「しめ」ってどうやって読むねん!)

 

正月で玄関に飾られる注連縄は、

神様を家に迎え入れるためのものです。

 

神様に、「この家は神様に来ていただく神聖な場所ですよ」と示すために飾るのです。

 

みなさまのご家庭では、飾られていますか?

 

 

 

最後に

 

いかがでしたか?

 

正月に見聞きする言葉も、漢字で表すと難しくなりますね(´⊙ω⊙`)

 

みなさま一人ひとりが、幸せな一年になりますようにm(__)m

つらい今、苦しんでいる方へ 〜自分とは何か〜④

こんにちは、とみちゃんです。

 

今回も体験記シリーズの続きです。

 

過去の記事はこちら↓

 


 

 

 

 

 

 

12月2日。

実家に帰省して落ち着いたのか、少しずつやる気のなさが解消されている気がしました。

 

この日は、父の提案で、外出することにしました。

 

 

ご存知の方もいるかもしれないが、「秋吉台」というところに行きました。

 

たまにクイズ番組にも出たりするような、日本最大のカルスト地形で有名なところです。

 

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「カルスト地形」というのは、石灰岩などが雨水などによって削られてできた特殊な地形のことです。

 

この山口の秋吉台のほかに、愛媛と高知の県境にある「四国カルスト」、福岡の「平尾台」は「日本三大カルスト」と呼ばれています。

 

 

日本三大と呼ばれているだけあって、実際に立ってみると360度雄大な景色が広がっていました。

平日で人がおらず貸切状態だったので余計にそう感じました。

 

そんな景色を見ながら歩いたのは気持ちがよかったです。

 

 

しばらく歩いていると、ベンチがあったので、そこで昼食をとることにしました。

 

行く途中のコンビニで買ったおにぎりを食べながら、私は仕事の話をしようと思ったのです。

 

前にも書きましたが、私は今まで親に仕事上の悩みを真剣に話したことがなかったので、

話すことに恥ずかしさやためらいもありました。

 

でも、このときは、秋吉台の壮大な地形が私の背中を押してくれたのかもしれません。

 

私は、前日に話せなかったことをすべて話すことができました。

 

 

「期日を守れ」とか「上司に相談するときはまず自分の考えを言え」とか、

注意されていることはすごく当たり前のことだけど、係長の声が大きく萎縮してしまっていること。

 

わからないところがあっても、周りに気軽に相談できる人もおらず、

自分もあまり人に相談するタイプではないから一人で抱えこんでしまっていたこと。

 

係長に聞こうにも、係長に対して萎縮し、恐怖心があるせいで

「これ聞いたらまた何か言われるのかな」とか色々考えてしまって、

結局それで時間がかかって、また同じことを注意されての繰り返しだったこと。

 

 

父は私が話している間、「うんうん」とか「あーおるよねーそういう人」などと言いながら聞いてくれました。

 

「そういうこと話してくれて嬉しい」と言ってくれたときはホッとしました。

 

 

父も昔は上司との人間関係で悩んでいたことがあったと話くれました。

そのときの上司は理不尽なノルマを課せられたりしてくるような人で、

本気で仕事を辞めようと思ったことがあったのだとか。

でも、周りのサポートのおかげで、結局辞めずに済み、仕事を続けることができたらしい。

 

父は、「陰であの上司ひどいよねとか悪口を同僚と言い合ったりしたけど、そういうので心がスッキリしてた部分もあったな」と言っていました。

「陰口はあんまりいいことではないんだけどね」とそのあと付け足して言っていましたが……(笑)

 

 

 

確かに、私自身振り返ってみると、仲間内でその場にいない第三者の悪口を言うのが苦手でした。

 

苦手というよりは、自分の中で「陰で悪口を言わない」というポリシーみたいなのがあったのかもしれません。

 

私も人間なので、もちろん「このやろう」とか「なんだよあいつ」とか思うことはありますが、

それを誰かに言わないように気をつけていました。

 

 

ネガティブなニュースを聞くとネガティブな気持ちになるように、

悪口や愚痴などのネガティブワードは周りも自分もネガティブにさせると思っているからです。

 

 

そのほかにも理由があります。

 

 

例えば、5人が集まってある人物Aさんの悪口を言い合っていて、

仮に5人のうち1人(Bさんとする)はAさんのことをよく知らなかったとします。

BさんはAさんのことをまだよく知らないにもかかわらず、

自分以外の4人が「Aさんはひどい」みたいな話をしていたら、

BさんはAさんに会う前から「Aさんは悪い人なんだ」という先入観をもってしまうことになります。

 

人が人と出会って受ける印象は人それぞれだし、自由でなければなりません。

 

なのに、変な先入観を与えてしまうのはAさんに対してもBさんに対しても失礼なことなのではないかと、そう思っています。

 

 

さらに言うと、壁に耳あり障子に目ありということわざがあるように、

話というのはいつどこでだれが聞いているかわかりません。

 

陰で悪口を言っているのが、もしなんらかの経緯で本人の耳に入ったら、その本人はきっと傷つくはずです。

(悪口を言った自分はスッキリするかもしれませんけどね……)

 

なので、これからは、

信頼できる人には、まわりにだれもいない空間であれば、多少の愚痴を言おうかなぁと思います(笑)

 

 

以前、三浦春馬さんが亡くなった際に書いた記事でも述べましたが、

言葉は魔法の薬です。

 

使い方次第では相手を死に追いやる毒にもなり得ます。

 

 

 

この記事を見ると、自分が書いたにも関わらずいろいろと考えさせられますね(^_^)a

 

それについてはまた次回。

 

そして皆さま、良いお年をお迎えください(^ ^)

 

(次回に続く)

つらい今、苦しんでいる方へ 〜自分とは何か〜③(『そして、バトンは渡された』についても少し)

こんにちは、とみちゃんです。

 

今回も体験記シリーズの続きです。

 

今までの記事はこちらです。↓

 

 

 

 

 

 

 

11月最終日、私は実家のある山口県に帰ることにしました。

 

帰る前に掃除や洗濯等をしましたが、それ以外の時間はぼーっとしている時間が多かったです。

 

 

帰りの電車に乗る前、課長が話をしたいと言うので会うことにしました。

 

私は前日にもらった診断書を課長に渡し、少し喫茶店で話をしました。

 

私が、「色々と仕事を残してしまって心配です」と言うと、

課長は、「仕事のことは私たちがなんとかするから、気にせず休んでください」と言ってくれました。

 

その言葉で少し気持ちは楽になりましたが、私にはまだ、みんなに申し訳ないという気持ちは残っていました。

 

 

 

私の実家には父と母、そして飼っている犬とインコがいます。

 

私が家に帰ると、犬が尻尾を振って吠え、

私が近づくと耳を倒してペロペロと手を舐める。

 

これだけで癒される。

 

ペットの存在は大きいのだと改めて実感しました。

 

 

この日は、特に父も母も仕事のことについては特に話をせず、

「まあ、ゆっくり休みなさい」といった感じでした。

 

 

 

翌日、まだ頭はぼーっとしていました。

部屋の中を行ったり来たり、まだそんな時間もあり、気づけばため息も出ることもありました。

それでも、以前よりはその回数も減っているように思います。

 

仕事のことについても少しずつ親に話をしました。

これまで親には残業が多いことは言っていましたが、

詳しい仕事上の悩みまでは言っていなかったので、話すのが少し不安でした。

 

悩みすべてを話せたわけではありませんでしたが、親は「うんうん」と話を聞いてくれてホッとしました。

 

 

その日の午後は図書館へ行きました。

図書館では、家から持っていった本を読みました。

 

その本とは、『そして、バトンは渡された』

 

 

 

 

3年ほど前にも一度読みましたが、

最近この本の実写映画が公開され、それを観に行ったことがきっかけで、

もう一度読んでみようと思ったのです。

 

 

少し脱線しますが、とてもいい映画でした。雰囲気が好きでした。

内容もおもしろく、本を読んでいなくても全然楽しむことはできます。

本を読んでから観てもきっと感動するでしょう(ハンカチ必須)。

 

 

 

でも、注意事項があります。

 

それは、上映時間が約2時間半もあることです。

 

私は、観る前にトイレに行っていたにもかかわらず、

その前に水を飲みすぎたせいか、上映開始30分くらいで尿意がやってきました。

 

 

やばい。あと映画は2時間もある。

 

でも、途中で退席するのは損した気分になるからトイレは我慢したい。

 

そんな葛藤がしばらく続きました。

 

映画のクライマックスのめちゃくちゃいいシーンのとき。

周りからは鼻水をすする音が聞こえ始める。

 

うん。非常に感動的なシーンだ。

それはわかる。私も感動したい。

でも私の尿意はもう限界でそれどころではなかったのです。

 

多分あのとき、膀胱と戦っていたのは私だけだったでしょう。

 

でも、安心してください。漏らしてはいませんので。

 

普段ならエンドロールを最後まで見るのですが、そのときは速攻でトイレへ向かいました。

 

 

そんなこともあり、いや、単純に雰囲気が好きな映画だったので、私は後日もう一度観に行きました。

2回目はきちんと映画を味わえ、感動して泣くことができました。めでたしめでたし。

 

みなさんも、映画を観る際は、きちんとトイレを済ませ、飲食は計画的にしましょう。笑

 

 

ちなみに、私は本のほうも好きなのですが、「森宮さん」という登場人物が気に入っています。

 

映画ではあまり描かれていませんでしたが、主人公・優子と森宮さんが夕食に餃子を食べるシーンが特に気に入っています。

 

優子に少しズレた愛情で接する森宮さんと、それに対して冷静にツッコむ優子との会話が私は好きです。

 

 

 

(次回に続く)

つらい今、苦しんでいる方へ 〜自分とは何か〜②

こんにちは、とみちゃんです。

 

今回は、前回に引き続き、ここ最近の自分の体験記です。

(長くなるので何回かにわけて書いています)

 

この続きです。↓

 

 

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ようやく私は決心して、11月29日(月)の朝、

自分の所属する課の課長に一対一で話したいことがあると伝えました。

 

別室に移動し、私はこれまで感じていた気持ちを打ち明けました。

 

椅子に座った後、第一声「もうつらいです」と私が課長に言うと、

その瞬間、私の目からは涙が溢れてきました。

 

 

その当時やっていた予算事務がもう処理しきれないこと、

係長の指示や期待にうまく応えきれず苦しんでいること、

休みの日も気が休まらなかったこと、

 

これまで抱えていたつらさをそこで話している間、涙も鼻水も止まりませんでした。

 

 

それ以前にも、課長には相談する機会があり、

その際、予算事務が大変だという話はしていましたが、泣いたことはありませんでした。

 

 

だから、あのときあれだけ泣いたことに自分自身驚きました。

ほんとに限界が来ていたんだと思うと、あの朝課長に「つらい」と言えてよかったと今では思っています。

 

 

課長は私に「今日はもう仕事のことは気にしなくていいからメンタルクリニックに行ってみる?」と勧めてくれ、

メンタルクリニックの電話番号が書かれた紙を私に渡してくれました。

私が「そうします」と言うと、課長は私に一人になる時間をくれました。

 

 

1時間半くらい一人になっていただろうか。

 

 

一人になると、仕事を放棄したことによる罪悪感やほかの人に迷惑をかけてしまって申し訳ないという気持ちが込み上げ、また涙が出てきました。

 

 

しばらく泣いた後は、私の中の何かの糸がぷつんと切れたように、なにもやる気が起きなくなりました。

 

ただただ天井を眺めたり、窓の外の景色をぼーっと見たり。

 

本当の「無気力」をそのとき初めて感じました。

 

 

窓の外の人たちは普通に歩いている。

コンビニに入る人もいればコンビニから出てくる人もいる。

家に帰ろうとしている人、どこか目的地に向かって車を運転している人もいる。

 

みんな何かしら目的をもって行動している。

それなのに、自分は……。

 

 

自分はこんな状態でも世界は普通にまわり、時間が過ぎていく。

 

外の世界は、私がつらい思いをしていようが泣いていようが

「そんなこと私たちには関係ないよ」とでも言っているかのようでした。

 

 

仕事ってなんだろう。

自分ってなんだろう。

人生とは? 生きるとは?

 

 

やるべき仕事が残っているつらさ、

それらを片付けなければという思い、

迷惑をかけられない、

でも、やる気が出ないし仕事が手につかない。

 

いろんな気持ち、感情が自分の中でぐちゃぐちゃだ。

葛藤が常にある。

 

 

ぼーっとした時間をしばらく過ごし、私はようやくメンタルクリニックに電話をし、その日の夕方の予約を取りました。

 

それから少し、またぼーっとして、課長に帰る旨を伝えて帰宅しました。

 

 

 

午後、メンタルクリニックへバスで向かいました。

 

メンタルクリニックに行くのは初めてだったので少し緊張しました。

 

受付で名前を伝えると、問診票を記入するよう言われました。

その後、心拍や血圧を測り、待合室で待っていると、先生から名前を呼ばれました。

 

先生は私に、ここに来るに至った経緯を簡単でいいので話してくださいと言いました。

 

私は、病院で事務をしていること、

4月から新しい業務をやるようになって、今抱えている仕事が処理しきれていないこと、

上司から毎日のように注意されてつらいこと、

などを簡単に話しました。

 

 

先生は、「あぁ、それはつらいよね」と言い、私に共感してくれました。

 

話を聞くと、メンタルクリニックを訪れる病院事務の人は結構いるとのこと。

 

自分だけじゃなかったんだと私は少しホッとしました。

 

 

その後、先生は私に二つの選択肢を提案しました。

 

一つは、今は体や心を休めることに専念すること。

 

もう一つは、治療をしながら仕事を続けること。

 

 

私は、「今はなにもやる気になりません」と言うと、

先生は私の意見を尊重してくれ、抑うつ状態で1ヶ月療養が必要といった内容の診断書を書いてくれました。

 

「とりあえず1ヶ月休みをとりましょう」と言われたその瞬間、私の心が少しだけ軽くなったような気がしました。

 

私は薬局で、不安を和らげる薬と意欲を上げる薬をもらって帰りました。

 

 

帰りのバスの中、いつもはスマホをいじったりするが、そんな気力もありませんでした。

薄暗い窓の外を眺め、これからどうなるんだろうとただぼーっとしていたのです。

 

 

バスから降り、自宅までの帰り道、ふと空を見上げました。

すると、私の目からは涙が出ていました。

綺麗な星空を見て、きっと何かが私の心を動かしたのでしょう。

 

 

家に帰ってテレビをつけてみるもののおもしろくありません。

ここ数日はバラエティ番組を見ていても笑うことが少なくなりました。

 

こんなことがいつまで続くのだろうか?

 

 

 

今思えば、11月26日〜29日の間が、

これまでの人生で最も心がどん底に落ちていたのだと思います。

 

 

(次回に続く)

つらい今、苦しんでいる方へ 〜自分とは何か〜①

こんにちは、とみちゃんです。

もう2021年も終わりますね。

みなさんはどんな一年でしたか?

 

 

さて、今回は雑学でも謎解きでもありません。

 

自分のことをここに書こうと思います。

 

別に、この記事を誰かに読んでもらって、

同情してほしいとか、かまってほしいとか、

そんなつもりはありません。

 

正直、ここに書くのもどうかなと思いました。

 

これを読んでくださる方もそう多くはないだろうし、

この発信によって与える影響なんてほとんどないかもしれません。

 

 

でも、

 

自分の心の整理のため、

 

体験談として記録に残すため、

 

そして、もし自分と同じようなつらさを感じている人がいたら、

少しでも「そう感じているのはあなただけではない」と思ってほしいため、

 

そんなつもりで書こうと思います。

 

 

 

私が大事にしている考え方に

『この世に無駄な経験なんてない』

というものがあります。

 

自分が今回経験したことも、「自分の財産になる」と信じています。

 

あとで読み返してなにかに役立てられるよう、ここに書きます。

 

 

 

かなり長くなるので、何回かにわけて書こうと思いますが、ご了承ください。

 

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私は今社会人3年目なのですが、

2021年11月29日から長期の休みをとっています。

 

 

理由は怪我や身体の病気ではなく、心の問題。

 

 

11月29日にメンタルクリニックへ行ったところ、「抑うつ状態」と診断されました。

 

 

抑うつ状態」というのは、「憂うつだな」とか「気分が落ち込む」といった抑うつ気分が強い状態のことで、

いわゆる「うつ病」の一歩手前みたいな状態です。

 

私が通っているクリニックの先生によると、

うつ病」と診断するためのいろんな指標があるようなのですが、

ストレスに対する私の反応が「うつ病」と診断するほど強くはなかったようです。

 

とはいえ、これまでに経験したことがないような精神的なつらさを感じました。

 

 

今は少しずつ回復してきているので、

書けるうちに当時の状況や心情を記録に残そうと思います。

 

 

 

 

私は2019年4月から、ある病院で事務の仕事をしているのですが、

2021年4月から、職場内での異動によって係が変わり、これまでやったことのないような仕事をやることになりました。

 

仕事内容は、主に予算・決算関係や、患者さんが受診した際に支払わなかったお金の管理などです。

 

 

年度はじめは決算事務が大変でした。

初めての業務でわからないことも多く、引き継ぎを受けたもののなんのことだか理解できない。

 

それでもなんとかがむしゃらにやって、月何十時間も時間外勤務をしながら決算を終えました。

 

 

少し落ち着いてきたかなと思ったら、今度は予算事務。

これもまた何が何だかよくわからない。

 

 

初めての業務は何がつらいかというと、おそらく

・業務の全体像がつかめない

・具体的に何から手をつけたらいいかわからない

・どこに気をつけて作業したらいいかわからない

といったことが挙げれらるのではないかと思います。

 

 

私が現在いる係は、4月にメンバーが大幅にリニューアルし、自分の仕事のことを気軽に聞ける人がいませんでした。

 

私の前任者は別の場所に異動したので、何度か電話で聞いたりもしました。

 

 

ところが、私は昔から電話が苦手。

 

 

気を使わない友人や家族ならまだ大丈夫なのですが、

業務における電話や顔も知らない相手からの電話には苦手意識を持っています。

 

電話は伝わるものが声しかありませんから、当然こちらの身振り手振りや表情は相手に伝わりません。

 

それは相手も同じで、初めての業務について電話で聞くのは私にとっては難易度が高く、

相手が何を言っているのか理解できないこともよくありました。

 

それに、これは業務中に多いのですが、

私が相手の声から過度に心理状態を察しやすいのか、「電話の相手、今不機嫌そうだな」などと感じると、そこからちょっとパニックになって、

結局自分が聞きたかったことが聞けなかったり、電話の後、相手が何を言っていたのか忘れたり。

 

そんなこんなで、なんとなくわかったようなわからないような感じで業務を進めていきました。

 

 

わからないところが出てきたときに、気軽に聞ける人が近くにいればよかったのでしょうが、

私にはいませんでした。

 

 

どうすれば答えが出せるか、

なんの資料やデータが参考になるのか、

ここを見たらいいのか? いや違う。じゃあこっちか? これも違うっぽい。

みたいに、わからないところがあればそうやって自分だけで抱え込んで考えていました。

 

だから時間もかかりました。

 

期日に間に合わないことも多々ありました。

 

その度に、私の係のリーダーである係長から

「期日があるならそこから逆算してスケジュールを組め」

と言われました。

 

確かに、そのとおりだ。

 

 

もう一つ、係長からよく言われていたことがあります。

 

あるとき、わからないことがあり、

「どうしたらいいでしょうか」

と係長に聞いたことがありました。

 

その際に、

「どうしたらいいかではなく、自分はこう思いますがそれでいいでしょうかと聞け」

と言われました。

 

確かに、そのとおりだ。

 

そうしないと自分の成長にはつながらない。

 

 

期日のことといい、質問の仕方といい、

言われていることは正しいことだと自分でも思う。

 

 

しかし、なかなかその係長の指示や期待には応えることができませんでした。

 

なぜなら、周りに気軽に仕事の進め方で相談できる人がおらず、一人で抱え込んでいたから。

 

係長が言っていることが正しいと思っていたからこそ、

それができない自分が悪いんだと思って、なおさら周りの人には相談できなかったのです。

 

また、自分のプライドが高いせいか、

「わからない」とか「できません」

とまわりに言うのが苦手だったことも要因かもしれません。

 

 

質問の仕方で注意されたことについても、

「自分はこうしたい」とか「自分はこう思う」

というのがなかなか思い浮かばず、かなり悩みました。

 

多分、今の自分の仕事に対する興味や、「やってやるぞ」といった意気込みがなかったからだと思います。

 

 

たとえ「こうしたらいいかな」と自分の考えが思い浮かんでも、それを係長に相談することをためらうことが多かったです。

 

 

係長は普段から声がかなり大きい人で、

私は毎日のように注意を受け、係長に対して萎縮してしまっていたのだと思います。

 

今思えば、私が精神的に落ち込んだ直接の原因は、係長から大声で注意を受けたことで萎縮したり恐怖心を抱いていたことにより、人間関係をうまく構築できていなかったことだと思います。

(ちなみに、その係長は机の引き出しの開け閉めなど、ひとつひとつの動作の音も大きく、それもいやでした)

 

 

こんなこと思い浮かんだけど、ほんとにこれでいいのかな。

 

これはもう係長に聞くしかないことだけど、聞いたらまた何か言われるのかな。

 

これ聞いたら多分こんなこと言われるな。そしたらなんて答えようか。答えられるようにあれも調べておこう。

 

係長機嫌悪いかな。今相談しに行くのはやめておこう。

 

 

そんなことを考えていると、あっという間に時間が過ぎ、

結局係長への相談がギリギリになったり、期日を過ぎてしまったり……。

 

 

期日を忘れているわけでもないし、ギリギリになればまた怒られるのもわかっている。

 

 

頭ではわかっているものの、上のような思考が頭の中で循環したり、

ほかにやることが溜まっていって、そっちを片付けたりしていると

結局同じことでまた怒られる。

 

 

そんな繰り返しでした。

 

 

溜まっていく仕事、減らない残業時間。

ひとつ作業を終えればまた宿題が返ってくる。

 

 

どうして自分はこんなにうまくできないんだろう。

仕事の帰り道、幾度となく頭をよぎりました。

 

 

 

11月26日(金)、普段であれば、金曜日は次の日が休みだから多少気持ちが楽になることが多かったのですが、

この日の帰り道は違いました。

寒い夜の帰り道、自分の目からは涙が出ていました。

 

 

その週末も、何をしても仕事のことが頭をよぎり、

「あぁ、月曜日が近づいてくる」

と30分に1回くらい仕事のことを考えてしまい、

せっかくの土日にもかかわらず、気持ちが休まりませんでした。

 

 

これはもうやばいかもしれない。

 

 

それまでにも朝、家を出る時に「いやだなぁ」と思うことがありましたが、

週末ずっとこれほどの危機感を抱いたのは初めてでした。

 

 

 

ようやく私は決心して、11月29日(月)の朝、

自分の所属する課の課長に一対一で話したいことがあると伝えました。

 

 

(次回に続く)